6月 20

斎理屋敷へぶらりひとり旅(2)

次に向かったのはメインの建物の「居宅」です。

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玄関を入ると「いろり」があります。
昔ながらの自在鍵が天井から下がっています。

今は初夏。
季節柄か いろりに火はくべられていませんでしたが、以前来たときは寒い時期だったのか薪がくべられていたのが印象的でした。

靴を脱いで座敷に上がってみます。
今は切り絵の展示会が催されていたようでした。

とてもきれいな作品が多かったです。

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少し急な階段を2階に上がってみるとあることに気づきました。
それは吹き抜けです。

吹き抜けの板は開け閉めできる可動式のようでした。
きっと暑い夏は開放的に開けておいて、寒い冬は暖が逃げないように閉めておいたのだと思います。

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2階は当時の文物などの資料が展示してありました。
当時は何の部屋だったろう?

昔の人の食事は質素だったようです。
麦や大根の入ったごはんに、味噌汁、漬物など

ただ斎理屋敷の奉公人は当時は貴重品だった白米をいくらでもおかわりできて、魚の煮つけなども食べられたようでした。
当時としてはご馳走だったのではないでしょうか?

斎理屋敷のダンボ(主)は奉公人をとても大事にしていたようでした。
良く食べる奉公人は良く働くという考えもあったようではありますが。

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(右は当時の一般家庭の食事の例、左は斎理屋敷での一般的な食事の例)

それに、当時は貧しく座布団に座るということもなかったようです。
でも奉公人は柿剥きの際、各自に座布団があてがわれたそうです。
ダンボの奉公人への気配りを感じました。

ベランダ(当時はなんて言っていたのだろう?)に出てみました。

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斎理屋敷では時代と共に営業品目は変わったものの、養蚕や、みそ や しょうゆの製造販売で財を成していったようです。
多い時は20人ほどの奉公人がいたそうです。
農地解放の時まで多くの奉公人をかかえ、農地解放のあとはダンボとその奥さんは質素に生活していったそうです。

 

つづく

 




Posted 6月 20, 2013 by cheshirecat in category "宮城県

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